人を教育する
食べること住むことを安定させ、さらに、ノウハウを構築することによってようやく教育という段階になる。
ただ、子供の成長は待ってくれないので、安定するまでの教育は、普通の生活を見せること、手伝うこと、自分で考えて実践することが教育になると思う。
教育するために別途「先生」を招く事になれば、莫大な支出がかかる。
日頃の生活が、教育する場となれば、学校と自宅を往復する必要もない。学校の行事を考える必要もない。ただ、生活するための作業をすれば、それがおのずと教育になる。そしていつも家族が一緒にいられる。
人数が増えた場合は、色々と考えることは増えると思う。寺子屋のような学校を考える必要があるかもしれないし、幼児には、自宅保育を順番に交代で各家族で対応するなども考えられる。
言いたいのは、支出を出さない努力は必要だということ。お金が大きくかかわる場合、どこかに無理が生じる。それが一時的ならばよいのだが、維持費用としてかかるのは避けなければならない。
ただ、支出ばかりを気にしてケチにならないことも必要。得意な人がいないにもかかわらず、無理して、時間をかけてお金がかからない方法を考え実施したが、結局、満足な結果が得られず、時間の無駄(その時間を得意分野で発揮すれば何倍よいことがあるか)になり、精神的にも、ガッカリしていいことなしにならないよう注意が必要。外注に頼むことで、早く済み、効果が倍増するのであれば、お金をかける必要もある。
まとめ
- 土地の入手
- 自営業の集まり
- 農場を根幹に
- 玄米菜食
- 自力建設
- できれば養蜂
- 教育
P.S.
最後に「人を教育する」となっているが、本当は、最初から最後まで、参加する人全員にとって、実行すること全てが教育になるハズである。(教育は別途するものではない)
Edited on:2005-11-18 23:14:14
Last Modified:2005-11-19 00:24:43