赤峰勝人
当時、赤峰さんの周りでは、たばこ栽培がされいた。たばこは、食品ではないので、あらゆる農薬やあらゆる化学肥料が使われ、虫を殺し、草をなくし、畑が死に絶えた。畑に草一本も生えなくなるそうだ。
たばこ栽培などで疲弊した畑を手に入れ、1999年頃4町歩まで増やし、無農薬・無化学肥料で完熟堆肥(循環農法)にて、アトピーを回復に向かわせる野菜を作ることができるまでに畑を復活させた。4町歩の広さを一人でしていたため、いかに手を抜くかを考え抜いたそうだ。2008年現在11町歩まで、畑は広くなっていると聞いています。11町歩を直販のみで野菜を栽培しており、一般家庭への直販ですので、栽培する種類も多く大変な作業になっているようです。
また、弟子制度を導入して、循環農法を広めることを目指しています。
略歴 ニンジンから宇宙へ 赤峰勝人(著) カバーより引用
1943年5月17日生まれ。大分県野津町に生まれ育つ。大分県立三重農業高校卒。宇宙の真理に根ざした循環農法で完全無農薬野菜を育てる百姓。1986年「なずなの会」を組織し、なずな新聞の発行、なずな塾、各地での講演、食事指導、自然の食べ物を通じて循環の大切さを訴え続けている。夢想神伝流居合五段。
他、料理本も出ました。
百姓 赤峰勝人の野菜ごはん
ヨメは、結婚直前に、なずなに行って「おいしい!」と感動したため、玄米菜食を始めました。多分、そんな料理が掲載されているでしょう。基本的に、難しい料理ではないです。百姓の料理ですから、素材のよさを引き出す料理といえるでしょう。
Edited on:2005-07-16 14:31:42
Last Modified:2012-09-15 02:04:37